「御三家」という言葉は、中学受験を語るうえで最も強力なブランドの一つである。しかし、その内実を歴史的にたどってみると、実は一度も入れ替わったことがない不動の称号ではない。
むしろ、時代ごとに看板の中身が静かに書き換えられ、しかも現在進行形でその序列が問われ続けている、意外と生々しい言葉だということが見えてくる。今回は「御三家」という呼称そのものの歴史と、その内部で今起きている変化を掘り下げる。
そもそも「御三家」とは何か
「御三家」はもともと、江戸幕府の徳川将軍家の分家である尾張・紀州・水戸の三家を指す言葉である。国語辞典的には「ある方面で有力、または有名な三者」を指す一般名詞として使われ、歌手グループやポケモンの初期パートナーにまで転用される、日本語における便利な「三択の型」だと言える。中学受験・高校受験の世界にも、この言葉はいくつも存在する。神奈川御三家(聖光学院・栄光学園・浅野)、埼玉御三家(県立浦和・大宮・浦和第一女子)、福岡御三家(修猷館・福岡・筑紫丘)など、地域ごとにローカル版の「御三家」が語られてきた。首都圏で単に「御三家」と言う場合は、都内・私立・男子校である開成・麻布・武蔵の3校を指すのが通例である。
戦前の「御三家」は、麻布・開成・芝だった
ここが今回のポイントである。実は「御三家」は、これまでに一度、明確な入れ替わりを経験している。仏教研究の専門辞典『新纂浄土宗大辞典』の芝学園の項には、1926年(大正15年)に創立20周年を迎えた芝中学校が「麻布・開成とともに私立中学の御三家と並び称されるようになった」という記述が残っている。つまり戦前の「御三家」は、麻布・開成・芝の3校だったのである。
当時の旧制第一高等学校(現・東京大学教養学部前期課程の前身)の合格者数ランキングを見ても、麻布・開成・芝の3校は私立校のなかでトップクラスの合格者数を誇っていた。一方、武蔵は当時7年制高校という特殊な制度をとっており、生徒は旧制一高を経由せずに直接東京帝国大学へ進学するルートを持っていた。麻布・開成・芝のような旧制中学校とは制度上一線を画す、いわば別枠のエリート校だったのである。
戦後、武蔵が加わり「開成・麻布・武蔵」に
戦後、GHQの学制改革により6・3・3・4制の新体制が始まり、東京帝国大学も新制東京大学に改組される。これに伴い武蔵も新体制の中高一貫校として再編され、現在の武蔵中学校・高等学校が誕生した。中学受験の難易度と東京大学への進学実績を基準に、都内私立男子校としてトップのブランドと実力を持つ開成・麻布・武蔵の3校が、新たに「御三家」と呼ばれるようになる。芝はこのとき「御三家」の座を外れ、戦後から現在に至るまで、「御三家」は開成・麻布・武蔵として定着した。つまり、私たちが今伝統的な御三家として認識している組み合わせは、実は約80年前に一度更新された、いわば二代目の御三家なのである。
「新御三家」の登場と、そこからの脱落
1980〜90年代、東京の中学受験市場が本格的に盛り上がりを見せると、「御三家」からこぼれた優秀な受験生を大量に受け入れ、多くの卒業生を東京大学に送り出す都内私立男子校として、「新御三家」と呼ばれる勢力が台頭する。駒場東邦・海城・巣鴨の3校である。ただし「新」とはつくものの、この呼称が使われ始めたのはすでに30〜40年ほど前のことであり、決して最近になって現れた新興校という意味ではない。
ところが、その「新御三家」の中でも、すでに一角が崩れ始めている。巣鴨は東大合格者数を大きく減らし、入試難度の面でも低下が見られるようになった。その結果、SNSなどでは近年、巣鴨に代わって進学実績を急上昇させている早稲田中学校・高等学校を加えた「駒場東邦・海城・早稲田」を指す「御三卿」という新語まで語られるようになっている。「御三家」も「新御三家」も、実は内部で絶えず入れ替わりの圧力を受け続けている、というのが実態である。
武蔵の長期低落。ブランドと実績のズレ
「新御三家」だけでなく、本家「御三家」の内部でも、看板と実績のズレが指摘され続けている学校がある。武蔵である。戦前は旧制一高を経由せず東京帝国大学へ進学できる特権的なルートを持ち、麻布や開成をもってしても敵わないほどの独自の歴史を誇った武蔵だが、2001年前後を転換点に東京大学合格者数が徐々に減少し始めたとされる。2021年の実績では、開成が卒業生390人中146人、麻布が卒業生311人中86人を東大に合格させたのに対し、武蔵は卒業生170人中28人と、生徒数の差を考慮しても見劣りが否めない結果となった。大学受験専門塾・鉄緑会の指定校からも外れたとされ、「武蔵はもう御三家ではないのではないか」という議論がインターネット上でも繰り返し交わされてきた。
ただし、武蔵の物語はここで終わらない。近年、武蔵の「自調自考」に通じる自由な教育方針が改めて評価され、偏差値・人気ともに回復傾向にあるとされる。ある教育専門メディアの分析では、入試時点の偏差値に対して大学受験時にどれだけ学力を伸ばせたかを示す「レバレッジ度」で、武蔵は男子御三家のなかでトップという結果も出ている。東大合格者数という一つの指標だけで見れば凋落と評価されがちな武蔵だが、少人数教育を軸にした学力の伸ばし方という別の指標では、今なお高い評価を受けているのである。武蔵の校長自身も、東大合格者数の減少に危機感を示し、受験教育は悪という従来の学校方針からの転換を模索していると報じられている。
「御三家」の外側で起きている、もう一つの浸食
第2話で見たとおり、女子の世界でも同様の構造変化が進んでいる。渋谷教育学園幕張は2024年の入試で偏差値が男子77・女子78に達し、女子御三家トップの桜蔭(78)とほぼ肩を並べる水準まで来ている。豊島岡女子学園も、かつては公立高校の滑り止め校という位置づけだったが、理系進学に強みを持つ教育改革によって「新御三家」の筆頭と称されるまでに躍進した。男子でも駒場東邦は、入試日が2月1日のみという難関校特有の一本足の受験方式を貫きながら、偏差値上は本家御三家と大差ない水準に達している。つまり「御三家」というブランドの外側でも、実質的な学力序列はすでに動き続けているのである。
まとめ
「御三家」は不動の称号ではない。戦前は麻布・開成・芝だったものが、戦後の学制改革を経て開成・麻布・武蔵へと一度入れ替わっており、その後生まれた「新御三家」(駒場東邦・海城・巣鴨)も、巣鴨の失速と早稲田の台頭によって「御三卿」という新しい呼称が語られ始めている。本家御三家の内部でも、武蔵は東大合格者数という指標では長期低落を経験しながら、別の指標(学力の伸び幅、独自の教育方針)では今も高い評価を保つという、一枚岩ではない実態がある。ブランドとしての「御三家」は今後も看板として残り続けるだろうが、その内実は、渋幕・豊島岡・駒場東邦といった学校の台頭も含め、常に静かに書き換えられ続けている。